11
1
2
3
4
5
6
7
8
9
10
11
12
13
14
15
16
17
18
19
20
21
22
23
24
25
26
27
28
29
30
   

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

混乱ドライブ

亡くなった友人のお葬式に行ってきた。
葬儀といっても、本人の遺志により、一般的な仏式のお通夜・告別式はなく、教会での「お別れ会」だった。

私は誰と待ち合わせるでもなく行ったが、その場では小学校~高校までの顔見知り何人かと会うことが出来た。

我が家からは少々不便な駅で、駅からの道のりも複雑で行きには迷子にもなった。でもそんなこともあろうかとたっぷり余裕を持って行ったから大丈夫。30分ほども迷ったが、開会20分以上前には到着した。徒歩15分の道のりに45分かけたワタクシの方向音痴レベルなめんな。

帰りは高校の同級生の「まっちー」が車で送ってくれると声をかけてくれた。まっちー43歳男性、花の独身。高校時代に比べると私と同じぐらい増量して勝手に親近感を抱いている。

たまたま近くには小学校・中学校の同級生の「きよちん(女)」と小学校の同級生の「タケ(男)」がいた。まっちーは「良かったら乗っていきますか」と彼らにも声をかけてくれて、方面も同じなので4人で同乗して帰ることになった。

だが、関係がややこしい。

どんちゃん A小学校-C中学校-F高校
私 N小学校-C中学校-F高校
きよちん N小学校-C中学校-別の高校
タケ N小学校-R中学校-別の高校
まっちー A小学校-G中学校-F高校

どんちゃんと私はC中学校-F高校でリンクしている。
きよちんと私はN小学校-C中学校でリンクし、きよちんとどんちゃんはC中学校でリンクしている。
タケと私ときよちんはN小学校でリンクし、タケとどんちゃんは中学時代の塾でリンクしている。
まっちーと私はF高校でリンクし、まっちーとどんちゃんはA小学校-F高校でリンクしている。

で、上に出てくる小学校・中学校はそれそれぞれが隣接学区、高校は都立で当時は学区制だったので、これも生徒は近隣から来ている子が多かった。

だから、まっちーが「C中って言ったら、◎◎って奴いなかった?実家が、電気屋でさ」と言うと「いたいた。そういえば◎◎はF高だもんね」とタケが答え、「△△はG中じゃなかった?」ときよちんが言えば「知ってる!オレあいつの原チャリよく借りてたわー」とまっちーが答え、ついでにタケも「△△知ってる。そいつも塾同じだったよ。兄貴が医者じゃなかった?」と言い出し、「そう、その△△だよ。△△は獣医になって、今札幌にいるよ」とまっちーが言い。

共通の友人知人がぼろぼろ出てきて大混乱。話しているうちに、私は誰とどこで知り合ったのか、曖昧になってたけど。

でもおかげさまで飽きることなく2時間のドライブを楽しめた。

「これもどんちゃんが作ってくれた縁だね」と語りながら…

R.I.P

友人が亡くなった。

幼稚園と、中学・高校が一緒だった。
2月に訪れたホスピスが、結局私と彼女との最後の会話となった。

悩んだけど、やっぱり最後に会いに行って良かった。私の選択は間違っていなかった、と思う。

まったくの偶然で、数日前に、とある人から実家に電話があった。

電話に出たのは実家の母で、「Cakeさんと連絡が取りたい」と言われたそうだが、心当たりのない名前だったので、ひとまず用件だけ聞いて、「私から連絡させます」といって電話を切ったという。

その人は、中学時代の先生だった。

体育教師で、私が担任を持ってもらったことはなく、私としてはちょいとした恨みを抱いている人なのだが、やまちゃんやどんちゃんは部活の顧問として、私よりは親しくしていた。

その体育教師「K先生」への恨みというのは、「受験期の内申を不当に下げられた」というもので、いったいどの面下げて連絡とりたいとか言ってるんだ、とイライラしつつも、一応母から聞いた番号に電話した。

すると、こんな話をされた。

・10年ほど前、どんちゃんが出産する時にお願いした助産師さんが、偶然K先生の近所の人で、知り合いだった。
・それを知ったどんちゃんが、K先生に連絡して、思い出話をし、その中で数年前にやまちゃんが亡くなったことを伝えた。
・K先生はやまちゃんの墓参をしたいと思ったが、その頃ちょうど定年退職でバタバタしており、更に大病を患ったため、墓参のタイミングを逃してしまった。
・現在は病も落ち着き、老後の楽しみとして昔の日記を読み返したりして過ごしている。そして、どんちゃんの訪問ややまちゃんの墓参のことを思い出し、やまちゃんの実家に連絡をとりたいと思ったが、卒業アルバムの連絡先はすでに転居しているようで連絡が取れない。どんちゃんの連絡先も変わってしまったようだ。他に誰か知っている人はいないものかと探していて、「私」にたどりついた。
・ついては、やまちゃんのご遺族の連絡先、もしくはどんちゃんの現在の連絡先を知らないだろうか。

私は、やまちゃんのご実家が引っ越したのは知っているが、そこからもまた転居してしまっていて、現在の居場所は私も知らないことと、どんちゃんがホスピスにいることを伝えた。

K先生は、ホスピスと言う言葉を聞いて、びっくりしていた。
それはそうだろう。かつての教え子の訃報を知らせた別の教え子が、今度は自身が末期ガンでホスピスにいるとは。

K先生への恨みは、正直今も消えていない。しかし、今はただの老人だ。大病して、昔を懐かしむことだけが楽しみの。
だから、わざわざ恨みごとを言ったりはしない。「もう、僕のことなんて忘れていると思うけど」と弱々しい言葉にはかつての暴言教師の面影もない。でも、そう言われて反射的に「忘れるわけないだろ、自分が何やったと思ってんだ!」と言い返したい衝動にはかられた。でも、言ったりしない。「お役に立てず申し訳ありません」と静かに答えただけだ。

どんちゃんの訃報は、その翌々日のことだった。

もう一度K先生に電話をしなければ、と思った。
ホスピスにいる、と伝えた時「会いに行っても良いだろうか。かえって迷惑かな」と言うので「行けば喜ぶと思いますよ。ぜひ、行ってください」と勧めてしまったから。

昨日の夜、何回かK先生に電話をしたが、常に通話中でつながらなかった。
誰か別の人が訃報を伝えているところか。それとも病院に問い合わせているところか。独居老人の雰囲気もしていたので、受話器が外れっぱなしになっている可能性もある。

何の因縁なのか、友人のいまわの際に、30年近くも没交渉のK先生から連絡が入り、こんなことになろうとは。

そういうめぐりあわせの年なのか。

みなさまにおかれましては、何卒ご自愛ください。

今日のイケメン

電車で、イケメン…というか、どことなくアートなオーラを漂わせている美形の2人の男性が向かいに座っていました。今日は良い日だと浮かれながらガン見していました(おばさん具合も甚だしい)。

片方がジョニ子(スケートのジョニー・ウィアー)に雰囲気が似ていて、あぁゲイかーゲイなんだろうなー美形はいつだってゲイなんだよチッ、と思っていたら、隣の男性とペアリングをしていました。2人とも左手の薬指に。

お似合いのカップルでした。末永くお幸せに。

ジャーマンドック禍

3週間前ほどから(つまり去年末から)ドトールのジャーマンドッグが食べたくて、昨日娘の塾の出待ちついでにドトールに入って、食べちゃった。

嬉しさのあまり勢いよくカブリと食らいついたら、アツアツのソーセージの油が飛び出して硬口蓋を火傷した。薄皮がむけて舌先に触れる。ウギャー。一晩明けた今になってもちょいと痛い。

ところでこの「硬口蓋」という言葉、私は普通に使っているんだけど、一般的には使われていないよね。便利なのに。というか、逆にこの単語を使わないでこの部分を表現するのって大変じゃん。みんなどうしてるの。って、日常生活でどうしてもそこを表現しないといけない場面はそれほどないか。鍋をつついて、葱を口に放り込んだ時、アツアツの中心部分が勢いよく飛び出して火傷したときくらいか(季節感)。要は口中を火傷した時くらいか。二度まで言う必要ないか。ていうか「口中」で済む話だってことか。

今日も今日とてそんなくだらないことを考えております。

伯母さん。ありがとう。

伯母の通夜と告別式が無事に終わりました。

最期の様子を母に聞いたところ、死の数日前から食事をとらなくなり、次女(付き添い)と三女(運転手)の2人に連れられて病院で毎日点滴を受けていたそうだ。最後の日も同様に点滴を受け、それも終わったので次女が「帰るよ」と声をかけると、目を開いてうなずいた。でも、すぐ目を閉じたので、「眠いのかな」と思い、ナースの許可を得て、しばらく寝かせておくことにした。

駐車場で待っていた三女が、いつもより時間が長くかかっているのを心配してやってきた。そこでもう一度「お母さん、帰るよ」と言うと、やっぱりまた目を開けた。でも、またすぐ閉ざした。どこかいつもと違う気がして、2人で繰り返し「帰るよ。支度するよ」と大きな声で言うと、うっすらとした反応はあるが、やはり変なのでナースとドクターを呼んだ。それから間もなくして、心停止。

よく死に行くときの描写として「眠るように」と言うけれど、本当にそうだったらしい。長女はいなかったが、娘2人に看取られての穏やかな最期。理想と言えば理想だろう。

遺影は昨年12月に、三女の娘(伯母からしたら孫)の成人式を記念して家族写真を撮った際に、せっかくだからと伯母単独でも撮り、その写真だという。菩薩のような微笑を浮かべた、いい写真だった。

親族控え室で、遺影の元になったその時のアルバムを見せてもらった。
長女の夫が写真館を営んでいて、そこで撮影した関係上、長女・次女・三女もその場にいて、それら娘たちと一緒に映っている写真もあった。

伯母の夫である伯父は、20年ほど前に他界しているが、私が初めて死んだと聞いて泣きに泣いた人だった。晩年アルコール依存気味で家族を巻き込んでいろいろとあった人だが、とにかく優しくて不器用で豪快で愛らしい伯父だった。それから一年ほど過ぎて伯母の家を訪れる機会があり、仏壇の前でまた泣いてしまった。

そのとき伯母は「パパのために泣いてくれるの。ありがとう」と言って、やっぱり微笑んでいた。

遺影の伯母と、同じ笑顔だった。

プロフィール

Cakeと書いてけーくと読む

Author:Cakeと書いてけーくと読む
会社員。家族は夫(鬱回復期か微妙なメンヘラー)と娘(中学生になりました)。

最近の記事

最近のコメント

月別アーカイブ

カテゴリー

ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

ブログ内検索

リンク

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。