08
1
2
3
4
5
6
7
8
9
10
11
12
13
14
15
16
17
18
19
20
21
22
23
24
25
26
27
28
29
30
31
   

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

子どもは甘やかすために存在する。

子どもは甘やかすために存在する。

……ということを、おおっぴらには言わないけれど、思っている。おおっぴらに言わない理由は、今コレを読んだあなたが「えっ」と思ったであろう、それこそが理由であります。

昔。
私の思春期の終わりごろ、ある男性作家が「ペットというのは、甘やかすために飼うのです」と、当時交際していた女性に言った、という文章を読んだ。

それを書いたのは、言われたほうの女性。女性は飼い猫のワガママ加減にほとほと手を焼いており、厳しくしつけていたのだが、一向に治らない。噛む、ひっかく、暴れる。とにかく反抗的。それが猫というものだとはわかっているが、その猫と来たら、ゴロニャアと甘えてくることもしない。ただひたすらに反抗的なのだ。そしてその可愛げのない性格のまま、猫は偏屈なおっさん猫になった(オス猫だった)。

けれど、ある時、この女性は気づく。たびたび遊びに来ていた、くだんの作家に対してだけは、いつしかなつくようになっていることに。誰にもなつかない、この偏屈な猫が、どうしてこの人にだけは甘えるような仕草をするのかしら。見ていると、作家はいつでも猫の好き放題にやらせている。飼い主である女性は猫にイタズラされるがままの作家に「叱っていいのよ」と言う。その時の答えが、「ペットというものは…」だった。

やがて猫は、穏やかな性格になっていく。
生まれて初めて、何をしても許してくれる人間に出会い、猫は赤ん坊のように甘えるところから、「生き直す」。そして、甘えることの心地よさを知る。もう、怯えなくていい。私は愛されているのだから。逆毛を立てて威嚇する必要もない。自分は甘えたい時には甘えることを許された、素敵な存在なのだから。
猫が変わっていくのを見た完璧主義の飼い主の女性もまた、考え方を変えていく。

作家と女性は、後に結婚する。
……この作家は庄司薫。女性はピアニストの中村紘子だ。


当時の私は、面白いエッセイとしてその文章を読んだだけで、とりたてて何という思いもなかったのだが、子どもを生んでから、たびたびこの話を思い出すようになった。

ペットだけでなく、子どももそんなものかもしれないなぁ。
そんな風に思うようになった。

愛玩動物は人間のエゴで売買され、人間の都合で求める飼い主のもとへと連れて行かれる。子どもは(平和な現代日本では)売買はされないものの、ある意味「親のエゴ」でこの世に連れてこられた存在だ。

だから、子どもを育てるということは、まず、甘やかすことから始めるのだ。

甘やかす、という言葉はあまりに誤解を招くのだけれど、本当の意味で「誰かを甘やかす」というのは、なかなかに難しいことだ。大抵の甘やかしは自尊心のためだったり、見栄だったり、自己満足だったり、そんなもののための行為であって、「甘えさせてあげるため」に甘やかすことは少ない。たとえばおばあちゃんが孫に求められるままに大量に菓子を食べさせる。これは、大抵の場合、「孫を甘えさせてやりたい」のではなく、「自分を贔屓してもらいたい」とか、「最小の労力で最大の賛辞を得たい」といったことが目的なのだ。甘やかしているのは孫ではなくて、自分自身である。

そうではなくて、「ねぇ、ママ、お話聞いて」と言う時には、耳を傾ける。「ねぇ、ママ、暗くて怖い」と言うなら電灯をともす。「ねぇ、ママ」と淋しそうな目をするなら、抱き寄せる。

そういう「甘やかし」をするために、私は、子どもを持ったのだと、思う。
スポンサーサイト
Secre

プロフィール

Cakeと書いてけーくと読む

Author:Cakeと書いてけーくと読む
会社員。家族は夫(鬱回復期か微妙なメンヘラー)と娘(中学生になりました)。

最近の記事

最近のコメント

月別アーカイブ

カテゴリー

ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

ブログ内検索

リンク

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。