04
1
2
3
4
5
6
7
8
9
10
11
12
13
14
15
16
17
18
19
20
21
22
23
24
25
26
27
28
29
30
   

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

フクシマ

福島に行ってきた。

私はPTAの会合があり、娘はヤマハのレッスンがあり(発表会前で休めない)という都合上、東京駅を18時頃の出発。メンバーは母と子4組。男児女児が半々。女児組のもう1人も予定があって、一緒に18時出発。男児組は一足早く15時頃出発していたはず。

後発組の我々は新幹線内で夕食をとり、ローカル線の乗継が悪かったため宿に着く頃には21時。そこから温泉に入り、親は少々飲み、こどもは前半をテレビ、後半はDS。はじめこそ男女別々だったけれど、そのうち額をくっつけんばかりにDSに興じるこどもら。まだまだカワユス。

翌日は朝から貸切の運転手付きマイクロバス(と聞いていたけれど、なかなか立派な観光バス)で被災地を訪ねる。NPOで活動している方々のお話をうかがった。

午前は津波で家屋が流され、今は平らになってしまった土地の広がる新地町。被災地の中では比較的早く住宅再建の目処が立った町であり、もともと住んでいたコミュニティを希望の限り保ちながら、高台に新しい集落が作られつつあるとか。より被害の大きな別の被災地からの転入者も増加中とのこと。しかし漁業の再開は未定。高齢者が多く田畑の後継者も少ない。住宅再建後の「産業」を考えなければならない。

昼には相馬のほうへ移動。

魚屋さんを生業としている方のお話を聞く。原発事故の影響で漁業が再開されない悔しさと、でもそれを言い訳にして自分たちでなんとかしようとしない人への批判的な意見も聞いた。

ほんの数キロ離れた宮城のほうは再開しているのに、福島ではまだ試験的にしか漁が出来ない。仕事を奪われ、生活を奪われ、しかし慰謝料で生活が「できてしまう」がために、自立の気力が萎えてしまう人が多く、中にはつい数日前にもあったような汚染水漏れ事故が起きると、「これで慰謝料が引き続きもらえる」と喜ぶ人も出てきつつあるとか。その他放射能のことについての報道は嘘ばかり、マスコミは自分の都合の良いことしか報道しない。等々。

この方には、「子連れ」で福島に来たことにとても驚かれた。「福島に来ることは怖くなかった?」「放射能がつくかもしれないと思わなかった?」と直接こどもたちに聞いていた。こどもらは理解したうえでというよりは、「親が連れて行くって言うんだから、大丈夫なんだろう」程度の気持ちで参加していたはずなので、「いえ、別に…」みたいな頼りない返事しかできないでいた。でも、それすらも逆に驚きだったようで、つまりそれは、逆に「福島以外では、福島出身の子が転校先でいじめにあった」とか「福島産のものを食べると癌になる」という風にみんなが思っていて、そういう大人の中でこどもたちも福島に対して嫌悪や恐怖を感じているに違いない、と、思っていたということだ。それだけ傷つくような思いもしてきたのだろう。

その後、また移動。原発から20km圏内に住んでいて、今は南相馬に避難民として住んでいらっしゃる方に小高地区を案内していただいた。20km圏内は現在「日中は自宅への出入り自由、宿泊は禁止」という状況だそうで、許可が出れば戻るつもりの人は少しずつ家を整えている…という感じ。町はさながらゴーストタウン。電気・ガス・水道は通っているが、要は「生活者」はいないのだ。人気(ひとけ)がない。たまに通り過ぎるのは工事車両ぐらい。戻らないつもりの人もいるわけで、ただ風雪にさらされ、荒れるに任せている家もある(倒壊の恐れがある家屋は行政が壊すようだが)。ゴミは勝手に捨てられず、ところどころに黒いゴミ袋に包まれ、置かれている。
3年経過してなお、3.11のまま片付いていない家屋もある。すぐに帰れると思って出て行ったきりなのか、窓が開け放たれたままのマンションもある。

さらにそこから進み、5km圏内のすぐ手前まで行った。その先は許可証がないと入れない。
ところどころに設置されている放射能測定器は、除染の済んだ、コンクリの土地の上にある(つまりもともと低く数値が出やすい)、自然放射能の量はあらかじめ引かれた数値が示されているらしい。

お話をしてくださった方は、「自分の家に戻りたい」とおっしゃっていた。事故前は同じ町内にいた小さな子のいる娘さん夫婦は、ホットスポットを避けた地に新居を構え、今後も住むことにしたという。「私は自分の町で暮らしたい。でも、こどもは違う。孫には安全なところで暮らして欲しい」。そして、この人にも「子連れ」で「わざわざ」来たことを驚かれた。この方は福島ナンバーだった車を秋田ナンバーに変えたそうだ。「福島」は敬遠され、いやがらせを受けることもあったから。

事故後の二年、東京電力が憎かった。そのストレスで入院までした。精神的に追い詰められた。でも、ボランティア活動をはじめて、いろいろな立場の人と話すようになると、考え方が変わった。憎かった東電に対しては「がんばってください」と言うようにした。憎んでいても何も生まれない。できることをしよう。でも、東電の力がなければ進まないことも多い。だから「私もがんばるから、東電さんもがんばってください」。

ゴーストタウンのような町を見ながら「私は、東京オリンピックとか、考えられないんです。2020年、どうなっているのかしらと。東京オリンピックなんて、このまちを見て、想像つかないでしょう。3年経って、何も進んでない。そういうこと、ここに来て、見て、感じて欲しいんです」


福島にいる間中、天気はあまり良くなくて、時折雨雪が降った。
福島駅前の一部をのぞき、どこも静かで、車社会でそのへんの道を出歩く人が少ないことを差し引いても、こどもの姿はまったく見なかった。旅館の宿泊客も私たちだけだった。スキー場などだったらもっと人出があったのかもしれないが。
そういえば旅館の人にも子連れを不思議がられ「何かの大会か何かですか?」と言われたっけな。

こどもが姿を消した町。今回の福島は、そんな印象だった。


スポンサーサイト

No title

貴重な福島体験を、ありがとうございます。

直接行かれて、話を聞かれた方でないと、なかなかわからない事は、たくさんあるのでしょう。
今でも、まだ、3年前のまま・・・のところもあるんですね。
それなのに、日本の政府は、過去のこととして、世界に向けて日本は安全だ!オリンピックだ!!と、イメージ戦略ばかり。
実態のない経済=アベノミクスって印象が、段々浮き彫りになってくるんじゃないでしょうか。

震災後、ずっと失われた元の生活から、立ち直れずにいる人もいたり、逆にお金の補償だけしていれば、それで良いとする感覚も、生活保護のあり方と同様で、問題点が多すぎますね。

日本に今一番必要なのは、雇用の確保だと思いますが、それもまだまだ頼りない状態。待遇の悪い仕事ばかりでは、一生懸命働くより、保護を受けて生きていた方が楽・・・なんて考えも出てきてしまうでしょうからね。

まずは、働ける人が働ける社会、そして、働いた人が報われる社会にして、働きたくても本当の意味で働けない人にも、しっかりした保障と共に、生き甲斐を持って社会参加出来る方法を確保することが、必要ですよね。

スーパーには普通の感覚で福島産、茨城産などのお野菜が並んでいて、私たちも普通に買っているのに、地元の人達は、心に深い傷を負ってしまうほど、ひどい迫害を受けた事実もあったのですね。

放射能被害は、怖いものだけど、目に見えないものだけに、時と共にいろんな意識が薄くなっていくのも心配ですね。

貴重なレポート記事、ありがとうございました。

R>フランさん

フランさん、コメントしづらい内容にありがとうございます。

長大になってしまったので、記事のほうにアップしました。

3年経とうとしているのに、「何一つ進んでいない」と言っていいぐらいの現状でした。
地震・津波だけでも大変な被害だったのに、原発事故。
住民に「津波だけなら良かったのに」と言わしめる傷をつけた事実。
考えさせられました、と書くのは好きではないんですが(そこで思考停止してしまうので)、そうとしか言えないです。
Secre

プロフィール

Cakeと書いてけーくと読む

Author:Cakeと書いてけーくと読む
会社員。家族は夫(鬱回復期か微妙なメンヘラー)と娘(中学生になりました)。

最近の記事

最近のコメント

月別アーカイブ

カテゴリー

ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

ブログ内検索

リンク

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。