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三浦しをん「舟を編む」

夏休みも終わり、私の読書感想文です。

ささっと感想書くつもりが長文になってしまいました。お時間のある方はよかったら読んでください。別になんの足しにもなりませんけど。

読んだのは「今更」感もありますが、三浦しをん「舟を編む」です。



2012年本屋大賞第一位をとり、すぐに映画化もされた。
辞書作りという非常に狭い世界を題材にした物語が何故そんなにウケたのか。

でもまぁ、ここ数年、そういった専門分野を題材にした作品というのは一定の人気を誇っている。特に漫画。ていうか、私は漫画しか知らんけど。音大を舞台にした「のだめカンタービレ」。美大なら「ハチミツとクローバー」。農業高校は「銀の匙」。農業大学は「もやしもん」。のだめの作者である二ノ宮知子は現在「87CLOCKERS」というこれまたオーバークロックなる特殊な世界を描いているし、ハチクロの羽海野チカは将棋を描いた「三月のライオン」を描いている。アニメ化やらドラマ化やらされている百人一首の「ちはやふる」、書道の「とめはねっ! 」などもある。

野球・テニス・サッカー・バスケといったスポーツものは、ずっと前からあった。料理系に至っては枚挙にいとまがない。それらよりもっと狭くてディープな、うっかりすると「オタク」と呼ばれる分野が、騒がしい。

それに自分がハマるかどうかは別にして、何かに熱中し、努力している人を見るのは、基本的には気持ちが良く、おもしろいことだ。損得を度外視して(どれだけ社会に貢献できるものか、という意味での損得勘定はあるかもしれないが、私利私欲の富を得るためでない、という意味での度外視)、一生懸命何かを追求する姿は美しく心を打たれる。スポーツでも、アートでも、辞書作りでも。

それが何故「今」人気なのか、というのはたぶんエライ人がたくさん考察しているだろうから置いておいて、その、辞書作り。

それに携わる真面目な青年、その名も「馬締(まじめ)」が主人公の、この小説。
結論から言うと、おもしろかったけど、表面的で、読後に残るものがない。あれだけ、言葉とは記憶なんだとか。そういったことを書いている割には心に刻まれた言葉がない。




ちょっと自分語りが入るけれど、私は大学時代、国語学という、日本語の文法やら語法やら構造やらを研究する学問を専攻しており、「舟を編む」の主人公である真面目な馬締のような人が周囲にたくさんいた。むしろ基本形だった。だから真面目な馬締青年がさほどの変人に思えなかった、というのが、まずもってこの作品に入りこめなかった大きな要素だろう。「この主人公、変な奴と思っていたが、読み進めるうちにだんだん愛着が湧いてきた」と言う作りになっていたはずだろうに、そうならなかった。

同じく国語学専攻だった同級生に、そのまま大学院に進み、まさに辞書編纂に携わり、用例カード整理や、出典の確認といった作業をしていた人がいる。アルバイトを探していると聞きつけて私もやりたいと言ったのだが、平日の昼間の作業になるので、社会人になってしまった私には時間的に無理だろうと断られた。

「舟を編む」の中にも、こういった学生バイトがチェック作業をする場面がある。急な徹夜作業になろうとも、いやがることもなく、積極的にがんばろうともする。その場面は、馬締の、変人ではあっても真摯に、ひたむきに辞書作りに邁進する姿に打たれ、その熱意に応えようとしている…的に描かれている気もするのだが、たぶん、実際のそういうバイトは、そもそも馬締側の人間であり、最初から他人に指示されて動いていたわけではなく、単純に辞書作りに関われることが楽しいし、自分の関わった部分は間違いがない!という仕事をやり遂げたくて仕方ない…と思っているタイプの人間ではないかと思う。少なくとも私の友人は辞書作りに対してそうであったし、私自身もその場にいたならそう思っていたはずだから。

そんなわけで、本来は周辺の人たちの視線こそ読者の視線であったろうに、終始馬締側の気持ちで読んでいたものだから、「馬締は変な人である」を示す描写が出てくるたびに、私は心が痛んでしまったのだ。そのくせ、「変な人」と思っていた周辺の人たちは、いとも軽々しく馬締を「でも、裏表のないいい人」と「理解」し、「認定」することにも抵抗があった。そんなに簡単にわかってしまわないでくれ、と。いっそまったく理解不能と言ってくれたほうがまだマシだ、と。

あと、もう一つ。
馬締の一人称が「俺」であることは作者の意図なのか。
私が上記のような国語学専攻者ばかりの環境にいた頃、一人称が「俺」の人は、学生同士の会話以外では、いなかった。なにせそこには言葉遣いにはシビアな面々しかいない。敬語はもちろん、「ら抜き言葉」なんてとんでもない、「とんでもない」を丁寧に言おうとして「とんでもございません」などと言おうものなら。
そこで一人称「俺」はありえない。それなのに、馬締は上司の前でも監修の教授の前でも「俺」と言う、この違和感。

あえての選択なら、失敗だと思う。では何と言うべきか。「僕」というのがふさわしいと思う人が多いかもしれない。しかし、私なら、「わたくし」だ。わたしもダメ。私と書いて「わたくし」。本物の馬締青年ならそう言うはずだ。

この違和感がずっと続き、いつかこの、不釣り合いな一人称「俺」の謎が解けることを期待していたのだが、最後まで明かされず消化不良に終わった。

もういっこ、余談に近い感想。馬締が「トラさんトラさん」と呼び掛ける様は、金井美恵子の「タマや」を思い出させ、そこから内田百間の「ノラや」も想起させる。このへんも、意図的なのか微妙。上述の「俺」と言い、どこまで意識して作りこんでいるのかがわからずすっきりしない。

さらにもういっこ。蛇足に近い感想。タイトルと装丁はいい。しかし、アマゾン画像で見るとついている、この帯。ひどいな。本気か?私は図書館で借りてきたからこの帯はついていなかったのだけれど、帯なしのほうが百万倍いい。書店に行ってこの帯見たら買う気なくすわ。これは作者の意図とは違う大人の事情なのだろうけれども、出版社だってもう少し考えろよと言いたい。

ちょうど今日、こんな訃報がヤフーのトップページに出ていた。
伝説の国語教師、橋本武氏が死去 灘校で「銀の匙」授業

ニュースサイトのため、近日リンク切れしそうなので一部をコピペするが、この先生は下記のような授業を実践なさったそうだ。
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灘中・高校で1934年から50年間教壇に立ち、教え子には作家の遠藤周作さんら著名人も。戦後、軍国主義的な記述を黒塗りした教科書に嫌気が差し、小説「銀の匙」を3年かけて読む「スローリーディング」を授業で実践。文章の語句からヒントを出し、連鎖的にさまざまな語句を学ばせ、自ら掘り下げて学ぶことの大切さを教えた。
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私は、ごくたまにだが、無性に触れたくなる作品というのがあって、それがこの中勘助「銀の匙」と、もう一冊、中島敦「山月記・李陵」なのである。ストーリー性ではなく、その日本語、言語表現に漬かりたくなる。

上記ニュースの橋本武先生なる人物、私はこのニュースを見るまで存じあげなかったが、そして訃報に接して言うべき言葉ではないだろうが、なんかちょっと嬉しかった。

3年かけてひとつの作品を読む込む。そういう授業があの名門灘校で何十年も実践され、評価されていた。「銀の匙」はそういう授業に使う価値のある作品であるということだ。つまりこれは、私が「この作品を読むと言葉というもののエネルギーを感じられる」と思っていたことが「正しい」と太鼓判を押してもらったようなものだ。

今、ここまでこの記事を書いてきて、ようやくある結論が見えてきた。

作家にとって、「言葉」を扱う作品を書くことは、本当は、生死をかけるほどの覚悟の要ることじゃないのだろうか。私が「舟を編む」をどうしても良く思えない最大のポイントはそこにあるのかも、ということ。

物語に出て来る人たちは家族・生活・人生そのものを辞書作りに注ぎ込む勢いだが、それを書く当の作家にそこまでの決意や覚悟がないように思えてならないのだ。言葉を生業にする者として、それはどうなのかと。おもしろおかしく、単なるトリビア提供のように扱ってしまわないでほしかったのだ。
作品中に出て来る馬締の言葉との対峙の仕方が共感できることばかりだっただけに、作者の軽々しさが不快だったのだ。

しかし、この軽さだからこそ売れたし映画にもなったのだろう。私の満足する重苦しい文章で書かれていたら、100分の1も売れなかったに違いない、とは思う。
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Cakeさんの記事を拝見し、自分は何て書いたっけ? と思って読み返してみたら、そうそう、軽さが違和感なのですよっ。
惜しいなー、このネタで違う作家さんに書いて欲しいなーって作品、ありますわね。

でも主人公の「俺」には気付きませんでした。
自身のことは蔑ろにしちゃうの、それが馬締くんなの、ってことかな。
いやでも「わたくし」としたほうがしっくりきますね…その4文字を言っている間にも彼が熟慮を重ねてる、ふうで。

軽やかなのか軽率なのか

まきまきさん。
そうそう、何故購入せずに図書館で借りたかというと、まきまきさんの書評の評価が低かったからなんですよね(笑)
最初はタイトルに惹かれ、「辞書編纂の物語」という点ですごく期待してしまって、買う気満々でいたんですよ。まきまきさんのおかげで買わずに済みました。はっはっはっ

実際に読んで、「小川洋子氏あたりの文章で読んでみたい」というのまきまきさんのお気持ちが、とてもよくわかりました。

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Author:Cakeと書いてけーくと読む
会社員。家族は夫(鬱回復期か微妙なメンヘラー)と娘(中学生になりました)。

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