06
1
2
3
4
5
6
7
8
9
10
11
12
13
14
15
16
17
18
19
20
21
22
23
24
25
26
27
28
29
30
   

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

「博士の愛した数式」「僕はいかにして指揮者になったのか」

暑いですな@東京

ぷんすかぷんすかしながら娘の尻を叩き、「読書感想文」と「夏休みのふりかえり」と「手芸」の宿題を終わらせた。残るのは自由研究。ってそれが一番の大物ですがな。今週はついに劇場入りしての最終稽古で、宿題なんかやっているヒマはないわけだが。

読書感想文といえば、先日娘の待ち時間に読むための本を購入。最近はもっぱら古本ばかりで、新本を買うのは久しぶり。インクのにほひがたまらぬ。

買ったのはこの2冊。

小川洋子
「博士の愛した数式」

佐渡裕
「僕はいかにして指揮者になったのか」





2冊とも、読んでいて既視感があった。

「博士の愛した数式」は、ハンス・マグヌス エンツェンスベルガー「数の悪魔」を。


「僕はいかにして指揮者になったのか」は、二ノ宮 知子「のだめカンタービレ」を。


参考文献を見たら、きちんと「数の悪魔」が挙げられていたので、これは間違いない。また「数の悪魔」から(これだけではないけれど)こんなにも繊細な美しい物語を創生できることにため息が出る(がっかりのため息ではなく、感嘆の)。

あ、「数の悪魔」もおもしろいので、機会があったら読んでください。数学ができる気分になる。気分だけだけどね。きっと文系人間ほどおもしろく読める。

佐渡ファンには「僕いか」と呼ばれているらしい後者については、佐渡さんのほうが先の出版なので「のだめ」側の参考文献の中に挙げられているかなと思ったけれど、どうもそれらしいものが見当たらない。とはいえ「のだめ」の参考文献は多いので、私が見落としているだけかもしれない。
特に千秋の指揮者コンクールのくだりはほぼ完全一致だ。別にどちらかを毀誉褒貶するつもりはない。ただ、のだめを読んでいた時には、いかにも「マンガチック」な描写だなー、いくら有能な指揮者といえども、んなことまでわかるわけないし、審査対象にするわけない!!と、「消える魔球」並に思っていたものが、実際本当にああいうコンクールが存在し、そのレベルでの審査が行われるのだということがわかって、改めて指揮者ってすっげー、などと思った。


「博士の愛した数式」は、「静謐」という言葉が浮かんだ。野球好きな子供も出てくる。会話文も多い。それでも全体に流れる空気は、清らかな静けさを感じさせる。読後の感想は「久しぶりに真っ当な日本語が読めて嬉しい」。数式のように、余計なもののない、美しさ。

「僕いか」は対照的に、賑やかで、情熱的で、汗がほとばしったような文章だ。指揮棒を振る佐渡さんみたい。サービス精神が旺盛なのがよくわかる。関西弁(京都弁)が頻出して、バーンスタインですら京都弁キャラにされている。そういうところで、クラシックへのとっつきにくさを感じている人々に、「なんかおもしろそう」「ほな、いっぺん見てみよか」と思わせたい、という啓蒙活動への熱意を感じる。

まずは出だしの、地元のおばちゃんに「ゆうちゃん何してんの」と聞かれて、「新日(本フィル)でがんばってるで」と言うと「新日本プロレス」と間違えられるという場面で、もう「つかみはOK」だ。
佐渡さんは大柄で、さもありなんという体躯をなさっておいでだが、しかし、いくらなんでもこれは多少は「作った」ネタじゃなかろうか。小学生のうちから結構な音楽少年だったわけだし、本当に「クラシック音楽なんて縁のない」環境であればあるほど、余計に「佐渡さんとこの子ぉは、昔っから一風変わってて合唱だかなんだかやってたけど、なんやえらい音楽家のセンセイに認められて、今じゃすごいらしいで~」とうわさになっていそうなものだ。よもやプロレスとは間違えまい。おばちゃんも心得ていて、あえてボケたのならわかるが。

と、感想を書こうとしても、「数式」のほうは、どうにも書きづらい。何を書いても蛇足のようで。それだけ作品の完成度が高いというか。「僕いか」のほうだと饒舌になる。

どちらも良書だと思います。
スポンサーサイト
Secre

プロフィール

Cakeと書いてけーくと読む

Author:Cakeと書いてけーくと読む
会社員。家族は夫(鬱回復期か微妙なメンヘラー)と娘(中学生になりました)。

最近の記事

最近のコメント

月別アーカイブ

カテゴリー

ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

ブログ内検索

リンク

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。